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鷲とライオン

[1] キックしたいなー - 2019/01/04(Fri) 06:00 ID:  [No.25650]
「チャーチルに関するお話」はこちら♪(^0^)/

●鷲とライオン。ヒトラーVSチャーチル。歴史上最も重要な「宿命の対決」。
どちらも画家で、演説も上手く、スピーチの練習をとことんやり、其々の国民に勝利を約束した。
第1次世界大戦ではどちらも一兵卒として戦い、火薬と血の匂いの漂う戦場の塹壕の中で喜びを感じた。
●ヒトラーはシャンパンの事を「下品な酢」と呼ぶ程酒を毛嫌いしたが、チャーチルはウイスキーをこよなく愛する大酒飲みだった。
ヒトラーは神経質に前髪を掻き上げるが、チャーチルはお道化て笑う。
ヒトラーは独身を通し「妻はドイツ」と公言したが、チャーチルは重要な席にも夫人を度々同席させた。
●チャーチルは「ユーモアと機知と毒舌」。
ヒトラーは議論しないが、チャーチルはとことん議論をやる。
女性議員が「私が貴方の妻だったらコーヒーに毒を入れてやるわ」と言うと、
チャーチルは「私が貴女の夫だったら喜んで飲みますよ」と返したw
●年齢はチャーチルがヒトラーより15歳年上。
チャーチルは、イギリス人の父とアメリカ人の母の間に生まれた。
貴族一家で、父親は国会議員だった。
子供の頃はどうしようもない問題児で、父親から「お前は負け犬になる」と冷たく突き放された。
やがて「一番認めてもらいたかった父親」が死んで喪失感を味わい、その後も父の背中を追った。
チャーチルの命日は父親と同じ「1月24日」である。
●政治家になりながら、自分が立案した作戦で6万人を死なせ、一兵卒として戦場の最前線へと戻った。
チャーチルの凄さはここだと言う専門家も多い。
●直にドイツに行って現状を観、「ヒトラーの脅威」に最初に気付いた人物の1人となったチャーチル。
●当時のイギリスでは、ウインザー公(エドワード8世)もロイド・ジョージ首相もリッペンドロップ駐独大使も揃ってヒトラーを支持していたが、
チャーチルは断固拒否し批判し続けていた。
チャーチルは「歴史が諸君の間違いを証明する。何故これほどの確信を持てるのか。この私が歴史を書くからだ」と言った。
●英仏はチェコスロバキアの同盟国であったにも関わらず、ミュンヘン協定に調印してズデーテン地方をヒトラーに差し出した。
イギリス国民はチェンバレン首相を「戦争を回避した英雄」と讃え、歌まで作った。チャーチル1人が反対し批判していた。
●その後ヒトラーは裏切りを続け、1939年9月1日にはポーランドに侵攻。英仏はここでやっと宣戦を布告する。
イギリスの世論も変わり、チェンバレン首相は世論に屈する形でチャーチルを閣僚に呼び戻した。
政治家は疎んじたが、チャーチルを民衆を味方につけた。
●1940年5月10日。この日、ヒトラーは仏蘭ベルギーへの西欧侵攻作戦を開始し、チャーチルはイギリスの首相となった。
●チャーチルの演説には野党議員も涙し、有能な議員が次々とチャーチルの下に集まった。
●フランスはドイツに敗れ、占領された。
チャーチルは、ダンケルクでの救出作戦「ダイナモ作戦」を決行。33万人の救出に成功した。
●1940年8月12日、ドイツは、メッサーシュミットによるイギリスへの「鷲の攻撃作戦」を開始。
イギリスはスピットファイヤで応戦し、お返しにチャーチルはベルリンを空爆した。
ヒトラーは更にお返しで、ロンドンへの「電撃爆撃」を開始。
2か月続いたこの大空爆で、10万発の爆弾と100万発の焼夷弾がロンドンに投下された。
●しかしチャーチルは、「ヒトラーは『イギリス魂』が分かっていない」と言ってのけた。
ロンドン市民は「ロンドンは動じない」を合言葉に、普段通りの生活を送った。
震え上がるものと考えていたヒトラーは計算が狂った。
ここから形勢は逆転する。
●最新鋭のレーダーを装備してドイツの爆撃機を1400機撃墜。
スピットファイヤがメッサーシュミットを次々撃破し、制空権を取り戻した。
ヒトラーにとっては「初の敗北」だった。
●ヒトラーは侮っていたが、側近のゲッペルスはチャーチルを高く評価。
「チャーチルが1933年に政権を獲っていれば今の我々は無かっただろう。油断は禁物だ」と発言している。
●1941年の「真珠湾攻撃」で、ヒトラーは日本を、チャーチルはアメリカを、其々「味方につけられる」と喜んだ。
●チャーチルはアメリカの議会でお得意の演説を行ない、協力を約束させた。
しかし、この頃チャーチルは実は心臓発作を起こしていて、病を隠しながら指揮を続けた。
●1942年11月、チャーチルが立案したアフリカ侵攻作戦「トーチ作戦」開始。
イギリスのモンゴメリー将軍がドイツのロンメル将軍率いるアフリカ軍団を撃破。
●チャーチルは精力的に戦場を視察。
ユーモアを忘れないチャーチルは、
モンゴメリー将軍が「私は酒も煙草もやらないから100%健康だ」と言うと、「私はどちらもやるから200%健康だ」と返したw
●ノルマンディー上陸作戦に備え、チャーチルは「フォーティチュード(不屈の精神)作戦」を決行。
これは「ゴム製の車両を英仏海峡のドーバー近くに大量に置き、ヒトラーを欺く」というもの。
●ノルマンディー上陸作戦を迎え撃ったドイツ軍は総司令部に増援要求の伝達をしたが、
就寝中のヒトラーを起こして怒られるのを恐れて、伝えられなかった。
その後ようやく起きたヒトラーだが、「ゴム車両作戦」にまんまと騙されていて、増援要求に応じなかった。
●ヒトラーは腹いせに、脱走兵の処刑や収容所での虐殺に走り、自らインフラを破壊。
ドイツ国民まで殺そうとした。
●地下壕での自殺前の口述筆記で、ヒトラーは先ず宿敵チャーチルの事を非難した。
チャーチルもスターリンの事は嫌っていたが、ソ連軍に包囲される中で自殺したヒトラーの事を、
「ヒトラーに相応しい死に方だと言わざるを得ない」と評した。
●ヒトラーは「わが闘争」を著し、それを読んだチャーチルは「ヒトラーの真実」という本を書いた。
チャーチルはヒトラーの本質に早くから気付いていたのだ。
戦後チャーチルはヒトラーとの戦いを懐かしむかの様に執筆に取り組み、著書「第2次世界大戦」でノーベル文学賞を受賞した。
●ヒトラーは野望。チャーチルは志。
●ヒトラーとチャーチルはどちらも地図を手放さなかったが、どちらも「優れた戦略家」とは呼べず、将軍達は頭を悩ませていた。
しかし、ヒトラーは周りを粛清したが、チャーチルはよく自覚していたので周囲の進言にも耳を傾けた。
●ヒトラーは独裁だから何でも通るが、チャーチルは何事も議会を通さねばならなかった。
しかし、イギリスの野党も「ヒトラーを止められるのはこの男しかいない」と考えていたのだ。
●戦争後半ヒトラーはドイツ国民の前に姿を現わさなかったが、チャーチルは現場に行って市民を励ました。
「帽子・葉巻・ステッキ」のスタイルを貫き、この姿がイギリス国民に「まだ大丈夫」との安心感を与えた。
「神経質な首相だったらヒトラーには勝てなかっただろう」と言われている。
●「世界の経営者が尊敬するリーダーランキング」第1位。
アメリカでは「鉄のカーテン」の有名な演説を行なった。
80歳で政界を引退した時はエリザベス女王の労いを受けた。

不屈の指導者、チャーチル。常に勝負師としての人生だった。

●火薬の匂いと戦闘を懐かしむチャーチルは、戦後何年も経ってから記者に
「いつの時代をもう一度生きてみたいですか?」と聞かれ、
「1940年を何度でも。そう、何度でもだ」と答えた。
●最近はドイツがメルケル、イギリスがメイと、どちらも女性首相になった。
そして、ロシアはクリミア半島を併合した。

●ヒトラーが1939年に完成させた「総統特別列車」、通称「アメリカ号」は、20ミリ対空機関砲も備えた「走る要塞」だった。
1944年、イギリスは「ヒトラー暗殺計画」、通称「フォックスレイ作戦」を立案した。
総統特別列車の水タンクに、「アイ」(愛)と呼ばれる「検出不可能な毒物」を仕込む作戦である。
だが、ヒトラーは利用価値があるという事で中止された。「今死んだら『殉教者』にされてしまう」というのである。
●「ヒトラーを愛で殺す」って面白いからw「リジェネシス」にこのエピソード入れようぜww




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