昭和40年8月25日に根室市で生まれ、柏陵中学校で「昼休みプロレス」を発足・地元・根室高校を卒業後に家業の玩具店を継ぎ、のちの妻となる明美さんと出会う。1986年にサムソンが21歳、明美さんが17歳のときに結婚し、2人の子供に恵まれ家族4人で幸せに暮らしていた。そして2006年、ヤフオクで100万円(+想定外の輸送料20万円)でリングを落札し、2006年9月10日に新根室プロレスを旗揚げ。年に2回ほどの試合で無理せず活動を続けてきたが、サムソンがプロレスにのめり込みすぎた結果、2014年から明美さんと別居し5年が経過。 アンドレザのデビュー後にはマネージャーとして全国を回り始めたものの、平滑筋肉腫は肺にまで転移し肺の1/3を取る大手術まで行ったという状況を受け、サムソンが「無理しない、怪我しない、明日も仕事」という新根室プロレスのモットーに対し、「今の自分は無理をしているし、病気をしているし、仕事も休まざるを得なくなっている」というジレンマに苦しんでいた内面が語られる。 そして、この日は夢のまた夢であった東京公演に臨むにあたり、長女の舞さん、次女のりかさん、孫の馳斗ちゃんから応援のメッセージが流され、「サムソン IS NOT DEAD」の文字が映し出される。
サムソンは面食らいながらも「明美、台風の中来てくれたんだね、ありがとう。今まで好きなことばっかり、プロレスとかそんなことばっかやっていろんな迷惑かけて、最後はこんな病気になって申し訳ない。だけど俺は明美のことを忘れたこともなかったし、今でも明美のことが好きだ。俺からこんなことを言うのはホントにできないけどさ」とうつむいてしまう。 しかし明美さんは「あなた、お疲れ様。かっこよかったよ。また一緒に暮らそう?」と微笑みながら涙声で語りかけ、壁を超えてリングに上がりサムソンと抱擁。  最後にサムソンは「人は歩みを止めたとき、そして挑戦を諦めたときに老いていくんだと思います。人生一度きり、やりたいことをやれ。カッコ悪くたっていい、バカにされたっていい、いつかきっとみんなわかってくれる。Don’t give up、Do your best! 13年間、ホントにありがとうございました!みなさん、いつかこの病気に勝って、ここ新木場に帰ってきます。必ず病気に勝って、必ず戻ってきます! それまでみんな、待ってて下さい!人生生きてりゃ、辛いこと、悲しいこと、いっぱいあるけど、みんな新根室プロレス、アンドレザ・ジャイアントパンダ、そして今日新木場にきた思い出をみんな忘れずに、頑張っていくぞー!無理しない!ケガしない!明日は仕事ーッ!13年間本当にありがとうございました!」と超満員札止めとなった会場で叫んだ。